真相を知った母
私の両親に離婚の意思を告げて、ルンルンで弟と帰ってきたサイ夫。
私はショックとつわりでほとんど何も食べられませんでした。おまけに喫煙可の居酒屋だったので、煙にも吐き気がしていましたが、ひたすら耐えていました。
その日以降、私は一時的に言葉を発する事ができなくなる程になりました。
最低限の話はしました。サイ夫は、私にくだらない話をしてくるのです。今思えば、支配下にいる事を見せつけたかったんでしょうね。
日曜日から、異変を感じていた母から何度も連絡が来ていましたが、返信する気力もなく月曜日から体調不良を理由に仕事を休み一日中横になっていました。
そして、数日後の夜、子供が寝静まったあと。サイ夫の口から頭が真っ白になるような言葉をかけられたのです。
「前にさ、〇〇(共通の友人)が中絶したって話したろ?そいつに聞いたんだよね。半日くらい入院して帰ったってよ。」
わざわざ、中絶した方に詳細を聞くなんて…
そこまでして、この子を産んでほしくないんだ。という思いと、このままでは私は殺されるかもしれない。という思い、そして、その方は簡単な気持ちで中絶の決断をしたわけではないです。ひどく苦しんでいた様子を知っているのに…
この目の前にいるのは、人間じゃない…
この時、離婚する事に迷いはなくなりました。この人は、おかしい。
そして次の日、相変わらずつわりで体調が悪い私に対して、「いつまで寝てんだよ!仕事もしねぇでダラダラしてんだったらとっとと離婚届取ってこい!」と子供の前で怒鳴られました。
心が死んでいる私にも、深く抉ってくる言葉でした。
子供を保育園に送り、布団にもぐり、メソメソ泣いていました。
そして、意を決して産婦人科に向かいました。
「心拍、確認できましたよ。おめでとうございます。」
揺れ動いていて、受け取れていなかった母子手帳を取りに行きました。
未来はわからないけど、この子はこんな苦しいお腹の中で生きていた。私の勝手で殺すことなんてできない。そう思いました。
月曜日からずっと連絡が取れず心配していた母と弟が飲み(!)だというサイ夫に代わって、家に来てくれました。子供をお迎えに行く前、そこでも私はうまく話せませんでした。母が「痩せたね…」とポツリと呟いたのをよく覚えています。
そして、子供をお迎えに行く時間になり、弟も一緒に着いてきてくれました。
「実は俺、聞いたんだよね…お腹の事。どうするつもり?」
両親に離婚話をした帰り、私を心配した弟がサイ夫と一緒に帰ってきましたが、そこでサイ夫は、話していたのです。
「実はお腹に子供いるんだよねー。でもほら、分かんなくすることはできるから。あの場で妊娠してるなんて言ったら修羅場になるでしょ」と笑っていたそうです。
その日、どうやって母と弟を帰したか覚えていません。心配してくれている家族にも、私の口からは妊娠している事をまだ言えませんでした。迷いもあったし、もし親からも中絶しろと言われたら…と怖かったのです。
でも、次の日。
また飲みのサイ夫、昨日の能面のような私を心配して、母と弟が来てくれました。
そして、言いにくそうに母が切り出しました。
「どうするか決めたの…?サイ夫くんは、離婚して長子の親権も自分が取るって言ってたけど」
「…サイ夫は、何を言ったの?」
「あんたが、鬱病なの知って結婚したけど、もう支えられないって。長子に鬱病が移ったら困るからって。そんな事無いでしょって言ったけどね。後は、借金があるとか、仕事ばかりで家の事を何もしないとか…本当は二人目が欲しかったけど、あんたとは望めないって。だから離婚したいって」
本当は二人目が欲しかったけど、私とは望めない…ここにいるのに?
私は、部屋を飛び出し母子手帳とエコー写真を持って投げつけるように母に見せました。
「ここにいるんだけど!もう二人目、いるんだけど!」
涙が溢れて止まりませんでした。
鬱病なのも、休まないとだめな体質な事も、仕事が忙しくなった理由も、育児に携わる時間が短くなった理由も、サイ夫は全て知っていました。
姉の病気、私自身の病気、仕事で大きなプロジェクトに入らざるを得なかったことも。「大丈夫だよ。長子は俺が見るし。看病は後悔のないように。仕事もせっかくのチャンスだから」そう言っていたのも全て監護実績を積むためだったのです。
母は、驚いて母子手帳を広げ「今何週?体調は?」一通り確認してから、
「あなたはどうしたいの?」と聞いてくれました。堕ろせ、ではなく。
「私は…簡単な事ではないと思ってる。今でもたくさんの事ができてないことも分かってる。でも、もう動いてる命があるから…産みたいよ…」
涙が止まりませんでした。
「分かった。女性が中絶する事がどれほど傷を負うのか、サイ夫くんはわかってないんだね。今まで長子一人でも大変だった事を、二人になるんだよ。わかってるね?責任を持って強くなりなさい。私も、できる限りは応援するから」
女性として、母として、命を尊重してくれた母に今でも感謝しかありません。
厳しい言葉もかけられましたが、要約すると、上記のような事を言ってくれました。初めて、妊娠を誰かに認めてもらい、そして応援してもらった日でした。