「事件」

義父との電話が終わり、妊娠している事も知らず、簡単に長子の親権が取れると思っていた事に、非常に違和感を感じました。

何というか、子育てを全くしない人ならではの楽観というか「鬱病育児放棄している嫁より俺の息子の方が凄い」と盲信しているようでした。

本当に残念な一家です。

 

 

まずは、義実家への連絡。そしてサイ夫との離婚協議。まだ安定期にも入っておらず体重は心労で減る一方、未来に明るい展望が見えずこの時期は本当に苦しかったです。サイ夫の言う通り、お腹の子は初めから父親という存在を知らないのです。いくら祖父がいるとはいえ、全く別物ですし、本当にこの子の父親を私の独断で奪って良いものか…サイ夫への愛情ではなく、子のために何ができるのか本当に悩んでいました。

 

ただ、この間も連日昼夜を問わずサイ夫から家族へのLINE攻撃は止みませんでした。かなり情緒不安定で、怒りを爆発させたり謝りながら私を罵倒してきたり、本当に頭がクラクラしていました。

(本当は見なくても良かったのかもしれません。家族もそう言っていました。でも私としては、まだ戸籍上は配偶者でありきちんと話し合いをして、親権や面会の取り決めをして離婚したいという気持ちがあったので、何を言っているのか知りたかったのです)

 

そして、別居から一ヶ月後。

忘れる事のできない事件が起こりました。

 

夕飯時の18時頃、私のPCアドレスにサイ夫からメールが届きました。

 

「今日、〇〇 ☓☓(サイ夫フルネーム)を終わらせます。お姉さんの所へ逝くことにしました。」

これが一通目。

そして19時前

「止めてもくれないんだね。止めてほしかったよ…愛してるよ。しずく」

これが二通目。

 

スマホでPCメールも見れるものの、その時は頻繁にスマホを触っていなかったので、私がこのメールに気付いたのは21時頃でした。

小さな悲鳴を上げて、離れた場所にいた父の所へメールを見せに行っていたそうです。(この時の記憶は曖昧です)

父は、メールを見てすぐに母の所へ行き、サイ夫の様子を見に行く。と言いました。母も一緒に行くことになり、私は何もなかったかのように長子の寝かしつけをし、弟と共に両親の帰りを待つことになりました。

 

ずっとお腹が張っていて苦しいのに、横になることもできない。何かあったらどうしよう…と悪い方に悪い方に思考がいってしまっていました。

22時頃母から電話があり、「とりあえず生きてるから。大丈夫よ。寝なさい」と連絡がきました。とてもではないけど眠れる心境ではなく、リビングで悶々としながら両親の帰りを待っていました。

弟は隣にいてくれて、何をするわけでも話すわけでもないけど、私を支えてくれていました。

 

その日、サイ夫の身に何があったのか。

実はこの数日前、父にLINEが入っていたそうです。

話し合いもできないまま離婚させられる事になり、俺は苦しい。離婚したら、俺は金だけ取られて子どもたちに会うことも再婚することもできない。未来に絶望しました。しずくには、俺の死をもって一生償いながら生きていってほしい。

これを、私の父に送っていたのです。

父は、サイ夫の安否確認のためサイ夫の職場にまで電話連絡をしていました。そこでは、サイ夫は平然と「俺は大丈夫です」と言っていたそうです。

これは、後の審判の際初めて見て本当に驚きました。

 

そして「決行日」

土曜日でした。三連休の初日です。

サイ夫はインターホンを押しても出てこなかったそうです。

合鍵を使い鍵を開けたところ、チェーンがかかっており奥の部屋に明かりが見えたと。

そしてサイ夫は、両親が来ることを予想していなかったのか非常に驚き威嚇してきたそうですが、父の説得によりチェーンを外し三人での話し合いが始まりました。

 

母はこの日の出来事を録音しています。私は怖くて今でも聞くことができませんが、聞いたところによるとこんな事が起こったそうです。

 

チェーンを外し、両親が部屋に入った所サイ夫は土下座をしてきたそうです。

「申し訳ありませんでした!俺が全て悪いんです!」と。

そして部屋に入ると、何種類かの封筒と通帳類がまとめて机の上に置いてあったそうです。

「これは遺書です。俺の気持ちを書いてあります。見ていただいても構いませんよ!」

と何故か怒りながら父に伝えてきたそうですが、父は見る事を拒否しました。

そして、机の上にはアルコール度数の高いチューハイの缶が転がっていたそうです。ワインのボトルもあって、本人からは酒の匂いがして呂律もうまく回っていなかったようです。

この日、両親とサイ夫の話し合いは2時間にも及びました。

サイ夫の主張は、謝罪→私への憎悪→復縁したい→私への憎悪と意味不明だったようです。

私が両親から聞いた中で、一番ゾッとしたのは

「俺が悪いのはわかりました!俺は気持ちを立て直します。だから復縁に力を貸してください。しずくに時間が必要!?どれくらいですか!2週間くらいですか!?」

というものです。

「俺が」大丈夫だから復縁したくて、「俺が」気持ちを立て直すのに2週間くらい必要だから待ってほしい。と。

そこに私の意思は全くありませんでした。

兎にも角にも、自殺を思い留まらせるのに刺激してはいけない、と父も母も言いたいことはたくさんあったと思いますがやんわりと復縁は断り続け、落ち着いて今後の話をしよう。と言い続けたようです。

そして、最後に父に対し

「ありがとうございます…救われました。自殺はしません」と言ったため、両親は家に戻ってきました。

日付が変わっていました。

私は少し話を聞いて、本当に怖くてこんな人と結婚してたんだと情けなくて涙が止まりませんでした。どんどん離婚の意思は固くなっていきました。

 

この自殺騒動、実は狂言だった可能性が高いと今では思っています。

そうでなければ、その後に起こった事が説明できないからです。

サイ夫がサイコパスである事がどんどん明るみになっていきます…

 

 

 

 

義父への電話

別居当日、もう一つやらなければならないことが私にはありました。

 

タイトルの通り、義両親に連絡を取ること。

 

もうサイ夫とは、話が通じないし埒があきません。

実家に戻ってすぐ、私は義父に電話をかけました。

 

私「こんにちは。お久しぶりです。」

義父「おぉ、久しぶり。」

私「本日連絡したのは、息子さんから聞いてると思いますが、離婚について」

義父「あぁ、はいはい。」

 

私「あの、私は今妊娠してます。ご存知でしたか?」

義父「え?…そうなんですか?それは…申し訳ない」

 

申し訳ない。の意味が今でもわかりませんが、義父はこれ以来一切関与しなくなるので、真意は不明です。

 

そして、ここから私はかなり冷静に!話したと思います。

私「やっぱりご存じなかったんですね。今私は長子を連れて実家に戻っています。サイ夫さんが希望してますし、私も離婚したいと思ってます。お腹の子供は産みます。せっかく宿った命ですから。それから、長子の親権は自分が取ると言っているようですが、命の重さがわからない人間に子供は任せられません。長子もお腹の子も責任を持って私が育てます。

離婚の意思はお互いあるわけですし、私にとって妊娠初期で本当に大変な時期です。申し訳ないですが、かなり現状体調も悪いです。しっかりサイ夫さんと話をしてください。

それから、サイ夫さんは離婚は自の意思で決められる、と言っていましたが子供もいます。きちんと取り決めてから離婚します。本人は錯乱していて、言っていることも二転三転していて、こちらも大切な時期ですので、本当に困ってます。きちんと話合いを息子さんとしてください。お願いします。」

義父「はぁ…そうですね。妊娠してたなんて…すみません。しずくちゃんは離婚したいんだよね?わかりました。体大事にしてください」

 

随分とあっさりしてると思いませんか?

冷静に話したつもりでも、正直かなり怒り心頭でしたし、サイ夫を侮辱するような事も言ってると思います。

それなのに、あぁ。そうですか。そんな反応でした。

 

カエルの子はカエル。とはよく言ったもので、義父も日常的に妻に怒鳴り散らすモラハラ夫でした。そして、親子揃って責任のとり方を知らなかったのです。

後日、義母に何度か電話をかけなければならない事件がありました。

 

その時、「お父ちゃんねー完全にキレてるんよ。勝手に結婚したんやから、離婚も勝手にせいって」と言われました。

本当に、大の大人が揃いも揃って責任逃ればかり。サイ夫は、なるべくしてサイコパスになったんだと義両親を見て思いました。

 

「子供お腹にいるんですけど?堕ろせとか言ってるけど?あんたの息子、頭おかしいよ」

「離婚するよ。ご希望通り」

「あんたの息子じゃ話にならないし、私は妊娠初期!大事な時期なの。きちんと話し合って。息子と。マジでこれ以上私達家族を苦しめるな」

 

本来なら、怒鳴って上記のようなことを言いたかったです。

言っていればよかったです。

 

これも、別居当日の出来事です。

サイ夫とお酒

一時脱線して、アル中のサイ夫について記載します。

 

後に悔しい思いをするのが、サイ夫の酒癖の悪さです。

付き合っている時から、友人達も含めて居酒屋に行く事が多々ありました。

その時、サイ夫は酔いが回ってくると「こいうさー〇〇でさー」と私を笑い者にしたり、けなす事が多かったです。それを諌めると、「ほら、恐妻でしょー」と言われたのです。

共通の友人も多く、私はプライベートで鬱病な事だったり性生活の事だったり、平気で笑い話にするサイ夫にその都度注意して、

「嫌な思いをするからやめて」と何度も伝えました。

でも、「場の空気がしらけるじゃん?」「笑いがわかんないやつだな」など、全く反省している様子がありませんでした。

次第に私は、サイ夫と友人が飲みに行く場には同席しなくなりました。苦しいし、悲しかったからです。

 

そして、長子を妊娠した時、その頃サイ夫は週に4日くらい飲みで遅くなる事が多く、それを「仕事」だと言い張っていました。

さすがに妊娠、出産したら減るだろうと思っていたら、全く減らないどころか増えてきたのです。

酒に酔って暴れるわけではなかったですが、口臭もスゴいし、大きな音を立てて行動し、子供が起きてしまうなんてザラでした。

接客業なのに、二日酔いの臭いを纏って仕事に行く姿は軽蔑するものでした。

 

何度も止めてくれ。アルコール依存症だと思う。と話をしても、現在まで通院している様子はありません。

 

私にとって何より許せなかったのは、二日酔いでも酔って人を侮辱する事でもなく、子供に手を上げることでした。

長子が3歳くらいになり、お話も上手になってくると同時にイヤイヤ期も始まります。

そしてその頃のアルコール量は、500mlを1本、350mlを2〜3本。それが食事の時。寝る前は更に350mlを2〜3本でした。しかも度数の高いストロング系チューハイ、ビール、ワイン、日本酒など様々でした。

お酒が回ってくると、些細な事でイライラするのでしょう。

スマホ片手に食事をし、ゲームをし、それを子供が見たがったり、触ったりしたら平手打ちでした。

そして、風呂に入らない、寝ない、とにかく自分の思い通りにならなかったら平手打ち。時にグーで殴る時もありました。

自分の買った子供も好きなキャラクターのフィギュアを触って、パーツが外れただけで殴った事もありました。襟首をつかんで頭からプレイマットに投げ落とした事もあります。

 

慌てて抱き寄せて怒ったことは数回ではありませんでした。

 

私は全て見てきました。

子供は、朧げにしか覚えていません。(本当に救いです。)

 

それなのに、ここまでの事をしたのに、後に起こす子の引き渡し審判では、

「アルコールの影響はない」

「子供に手を上げた事はない」

証拠がない事が本当に悔しかったです。

あのままいたら、子供にも悪影響だった事は間違いありません。

 

叱って叩いてしまう、は許させる事もあるかもしれません。

でもサイ夫の基準は、「自分」なのです。

「俺が買って大切にしてたフィギュアを触った」

「俺の言うとおりに動かなかった」

スマホゲームを邪魔された」

 

今でもアルコールを飲み続けているでしょう。

本当にあんな人間に親権が渡らなくて良かった。

子供と引き離せてよかった。

 

アルコール依存症は、自分で病院に行く事は少ないらしいです。治らない、ではなく認めない、自分は普通だと思っているので。

 

そして、私にではなく、より弱い人間に暴力を振るう。許せないです。

そして、証拠がないのです。

この「証拠」に、今でも本当に苦しめられています。

 

 

 

 

 

SNS攻撃

何とか当面の荷物を持ち出し、別居、離婚意思の確認、長子を引き取る事を伝えて実家に戻ってきました。

 

長子は、淡々としていました。この時は、何が起こったのか理解できていないようでした。当然です。

 

両親、弟、そして私と長子。まずは長子の精神安定を第一に。私の体も考慮して、でも淡々と離婚の話を進めよう。元々サイ夫の言い出したことだし、私も意思が固いのだから。そのような事を大人で話していました。

 

この時、私はサイ夫からの連絡が怖く、SNSや電話などほとんどを拒否していました。

すると、弟のLINEに

「あいつに、LINE無視しないでって伝えて」

そう連絡が入りました。

「姉は妊娠しています。今はそっとしておいてもらえませんか?」

 

そこから、サイ夫のサイコパススイッチが入ります。

弟に対して、「何で俺が堕ろせって言ったかわかる?俺だって妊娠したってわかって嬉しかったんだよ!」「でもさ、産んでから育てられなかったじゃ遅いんだよ?」「これが俺責任の取り方だよ!」等怒涛のLINEを送付してきました。

弟だけではなく、母にも並行してLINEを送付していました。

「すみませんでした!本当にすみません。」「しずくは、本当に産む気なんですか?」

母は、「今日伝えたように、しずくは産みたいと言っています。簡単な事ではないですが、私たちがサポートします。」というような事を送りました。

 

すると

 

「産むのであれば離婚しません」

 

全員の頭に?がついたと思います。私は、鳥肌が止まりませんでした。

この人、頭おかしい…

 

「僕の責任の取り方は、しずくに堕ろさせ、長子を自分が育てる事です。堕ろさないのであれば、その子には生まれたときから父親がいない子になってしまいます。そんなの耐えられません!」

 

どこから何を伝えたらいいのか、お手上げ状態でした。

 

そして父にもLINEが届きます。

「やっぱり長子は僕が育てます!しずくは大丈夫ですか?」「話し合いたいので今から家に行ってもいいですか?」

 

夫婦間で話し合いをせず、離婚する事を義母に一番に伝え、私には一方的に離婚する!籍だけ抜いて奴隷になれ(意訳)。両親には、しずくとは第二子が望めないので離婚する、と言ったのはサイ夫です。

私から話し合いをすべきでは、と提案しても俺の中では答えは決まっている。と拒絶したのに、いざ離婚、そして親権も出産もと自分の思い通りに事が進まず焦ったのでしょう。

この日のLINEだけで、100通は超

えていたと思います。その全てが、「自分の事」「保身」でした。

決まり文句は、「俺も悪かったけど、こう言わせたのはしずく。ここまで追い詰めたのはしずく」

 

常軌を逸した言葉の数々に、皆呆れていました。父だけは、「男はこんなもんだ」とサイ夫に理解を示すような事も言っていました。一番冷静で、楽観的でした。

 

「娘は今、妊娠中ですよ。怖がらせてどうするのですか。話し合いをする必要はあるでしょうが、しずくは離婚の意思を固めています。本日は娘と孫をきちんと休ませてあげてください。後日離婚の話し合いをしましょう」

 

上記のような文言をサイ夫に父が送付しました。

母は、私と同じくサイ夫に恐怖心を抱いており、既読スルー。弟は、雑談を続けながら、今後の話し合いに必要になるであろう情報を引き出していました。(この時の記憶は鮮明ではないですが、文字で送ってくれたことで、後々サイ夫の異常性を証明するのに役立ちます。)

 

家族全員が疲れ果てた別居当日の出来事です。

 

 

別居宣言

やっと母にお腹に二人目がいる事が言えた日。

気持ちは固まりました。離婚して、この子は産む。

その週末、元々私は実家に帰る予定でした。もちろん子供を連れて。

土曜日、子供を連れて実家に行き、夜事情を知らない父に、妊娠している事、相手が言っている離婚したい理由は合っている部分もあるけど、かなり盛った内容である事、表向きは理解を示すような態度をしていた事、病気に関してはずっと治療をしていた事、借金などないのに勝手に借金があると思っていること…

両親共に絶句でした。あまりに主張が違いすぎる事、そして何より妊娠を隠して嘘をついたこと。

父は、即座に相手の主張と私の主張を記載しまとめていました。(仕事人です。そして後々非常に役に立ちます)

結論として、

「もうサイ夫のいる家に娘と孫は置いておけない」という事になりました。

そして、翌日曜日。母、父、長子と共にサイ夫の家に行きました。当面の荷物を持ち出すためです。所謂別居宣言です。

部屋には、母と私の二人で行きました。

呑気にテレビを見ていたサイ夫は、怒った母と無言な私を見て、慌てていました。

「は?何?長子は?」

母がいるにも関わらず私に対して威圧してきます。

「いません。もうあなたとは暮らせません。離婚してください」

私は、はっきりと言いました。そして、母も

「なぜ実家に来た時に、娘が妊娠している事を言わなかったの?」と問い詰めます。するとサイ夫は、

「だって、しずくが言わなくていいって言ったし」と責任転嫁してきました。

サイ夫が実家に行く前日、居酒屋で第二子の事は伝えるか聞いてきました。最初は「当たり前だけど、話して」と私は言いました。

ですが、サイ夫の酔いも回ってきた頃

「言わなくてもいいです。でも言えるのであればきちんと伝えてください」とボールを相手に返しました。サイ夫がきちんと誠意を持って全て話すか、試すためだったと思います。

結果は、話していない+子供が欲しいのにしずくとは望めないという酷いものでしたが。

そして、母は後々問題にならないよう、

「娘はご存知の通り今妊娠しています。あなたも気付いてると思うけど、憔悴しています。このままでは流産してしまう。あなたは、簡単に堕ろせと言うけど、二人で望んでできた子なんだから、それは殺人と同じです。そんな考えをする方に、娘も、当然孫も任せられません。連れて帰ります。」と、はっきり伝えました。

サイ夫は、「嵌められた…」と意味不明な事を言っていました。

ぐうの音も出なかったのでしょう。その後、サイ夫が言葉を発する事はなく、ただオロオロしていました。

そして、父と長子が車で待っていることを知ると、突然「長子に会わせてください!お義父さんとも話をさせてください!何ならこれから自宅に行きます!」と騒ぎ出しました。

今の段階で、長子と会わせたくなかったのですが強引に駐車場まで付いてきたサイ夫。

車の中でタブレットで遊んでいた長子を無理やり車からおろし、抱き抱えてまた洗脳し始めました。

「もうパパと二度と会えなくなるけどいいの?」

「ママと行くの?」

子供に、両親を天秤にかけさせる最低な行為です。私は、これ以上長子を傷つけたくないので、「やめて!」と長子を抱え車内に戻しました。

そして、車から少し離れた所で、興奮しているサイ夫と母と、私は会話をしました。

母は、「あなた(サイ夫)は離婚したいのよね?」

サイ夫は、「はい。でも長子の親権は譲れません!」と言うのです。

「私も、親権を渡すつもりはありません。離婚はします。とにかく長子をこれ以上傷つける事を言わないで」

その言葉を残し、母と私は車に戻り、長子と共に実家に帰ってきました。

長子には、「大丈夫だよ。パパともちゃんと会えるからね。」と伝えました。

こうして、別居・離婚宣言してきたわけですが、この日から地獄のSNS攻撃が始まるのです…

真相を知った母

私の両親に離婚の意思を告げて、ルンルンで弟と帰ってきたサイ夫。

私はショックとつわりでほとんど何も食べられませんでした。おまけに喫煙可の居酒屋だったので、煙にも吐き気がしていましたが、ひたすら耐えていました。

 

その日以降、私は一時的に言葉を発する事ができなくなる程になりました。

最低限の話はしました。サイ夫は、私にくだらない話をしてくるのです。今思えば、支配下にいる事を見せつけたかったんでしょうね。

日曜日から、異変を感じていた母から何度も連絡が来ていましたが、返信する気力もなく月曜日から体調不良を理由に仕事を休み一日中横になっていました。

そして、数日後の夜、子供が寝静まったあと。サイ夫の口から頭が真っ白になるような言葉をかけられたのです。

「前にさ、〇〇(共通の友人)が中絶したって話したろ?そいつに聞いたんだよね。半日くらい入院して帰ったってよ。」

わざわざ、中絶した方に詳細を聞くなんて…

そこまでして、この子を産んでほしくないんだ。という思いと、このままでは私は殺されるかもしれない。という思い、そして、その方は簡単な気持ちで中絶の決断をしたわけではないです。ひどく苦しんでいた様子を知っているのに…

この目の前にいるのは、人間じゃない…

 

この時、離婚する事に迷いはなくなりました。この人は、おかしい。

 

そして次の日、相変わらずつわりで体調が悪い私に対して、「いつまで寝てんだよ!仕事もしねぇでダラダラしてんだったらとっとと離婚届取ってこい!」と子供の前で怒鳴られました。

心が死んでいる私にも、深く抉ってくる言葉でした。

子供を保育園に送り、布団にもぐり、メソメソ泣いていました。

そして、意を決して産婦人科に向かいました。

 

「心拍、確認できましたよ。おめでとうございます。」

 

揺れ動いていて、受け取れていなかった母子手帳を取りに行きました。

未来はわからないけど、この子はこんな苦しいお腹の中で生きていた。私の勝手で殺すことなんてできない。そう思いました。

 

月曜日からずっと連絡が取れず心配していた母と弟が飲み(!)だというサイ夫に代わって、家に来てくれました。子供をお迎えに行く前、そこでも私はうまく話せませんでした。母が「痩せたね…」とポツリと呟いたのをよく覚えています。

そして、子供をお迎えに行く時間になり、弟も一緒に着いてきてくれました。

「実は俺、聞いたんだよね…お腹の事。どうするつもり?」

両親に離婚話をした帰り、私を心配した弟がサイ夫と一緒に帰ってきましたが、そこでサイ夫は、話していたのです。

「実はお腹に子供いるんだよねー。でもほら、分かんなくすることはできるから。あの場で妊娠してるなんて言ったら修羅場になるでしょ」と笑っていたそうです。

その日、どうやって母と弟を帰したか覚えていません。心配してくれている家族にも、私の口からは妊娠している事をまだ言えませんでした。迷いもあったし、もし親からも中絶しろと言われたら…と怖かったのです。

 

でも、次の日。

また飲みのサイ夫、昨日の能面のような私を心配して、母と弟が来てくれました。

そして、言いにくそうに母が切り出しました。

「どうするか決めたの…?サイ夫くんは、離婚して長子の親権も自分が取るって言ってたけど」

「…サイ夫は、何を言ったの?」

「あんたが、鬱病なの知って結婚したけど、もう支えられないって。長子に鬱病が移ったら困るからって。そんな事無いでしょって言ったけどね。後は、借金があるとか、仕事ばかりで家の事を何もしないとか…本当は二人目が欲しかったけど、あんたとは望めないって。だから離婚したいって」

本当は二人目が欲しかったけど、私とは望めない…ここにいるのに?

私は、部屋を飛び出し母子手帳とエコー写真を持って投げつけるように母に見せました。

「ここにいるんだけど!もう二人目、いるんだけど!」

 

涙が溢れて止まりませんでした。

 

鬱病なのも、休まないとだめな体質な事も、仕事が忙しくなった理由も、育児に携わる時間が短くなった理由も、サイ夫は全て知っていました。

姉の病気、私自身の病気、仕事で大きなプロジェクトに入らざるを得なかったことも。「大丈夫だよ。長子は俺が見るし。看病は後悔のないように。仕事もせっかくのチャンスだから」そう言っていたのも全て監護実績を積むためだったのです。

 

母は、驚いて母子手帳を広げ「今何週?体調は?」一通り確認してから、

「あなたはどうしたいの?」と聞いてくれました。堕ろせ、ではなく。

「私は…簡単な事ではないと思ってる。今でもたくさんの事ができてないことも分かってる。でも、もう動いてる命があるから…産みたいよ…」

涙が止まりませんでした。

「分かった。女性が中絶する事がどれほど傷を負うのか、サイ夫くんはわかってないんだね。今まで長子一人でも大変だった事を、二人になるんだよ。わかってるね?責任を持って強くなりなさい。私も、できる限りは応援するから」

 

女性として、母として、命を尊重してくれた母に今でも感謝しかありません。

厳しい言葉もかけられましたが、要約すると、上記のような事を言ってくれました。初めて、妊娠を誰かに認めてもらい、そして応援してもらった日でした。

 

 

私の両親に一方的に離婚話をしにいくサイ夫

離婚話を終え、長い長い週末が終わり、私は平静を装って仕事に行っていました。当然つわりと付き合い、段々と調子に乗り始めたサイ夫に嫌悪感が増していきました。

典型的なモラハラのケースとして、相手が自分の支配下にあると満足する、とありますが、私が次第にやつれて口数が少なくなり、意識して子供と関わる姿を見てほくそ笑んでいたことでしょう。(実際にはこれ以上勝手な事をサイ夫に言われないよう匿っていた)

 

そんな週中、水曜日サイ夫から突然「今週末お前の実家に行って話ししてくるから」とLINEが入りました。まだ、離婚という話を聞いて1週間も経っていませんし、二人で話をしたわけでも、結論が出たわけでもありません。

「え?まだ話し合いしてるよね?結論も出てないのに何を話しに行くの?」と送ると、

「だから、俺の中ではもう結論出てるから。」とのこと。我が家は数ヶ月前に私の姉が病気のため亡くなっています。両親の憔悴はひどく、これ以上心配をかけたくない。お願いだから待ってくれと言いましたが、

「もう決めたから。土曜日に行ってくる。俺だけで行くから」と言われてしまいました。

 

そして実家訪問の前日、サイ夫は上機嫌で保育園から帰ってきた長子と共に私を居酒屋に連れてきました。当然ビールやハイボールなど、飲みまくりです。

酒がいい感じに回ってきた頃、「で?答えは決まったの?」と言われました。

私は本当に1週間で食欲も落ち、やつれていました。様々なことを考え、以下のような事を伝えました。

「お腹の子については、正直どうしていいかわからない。本当に本当にずっと悩み続けた。私が正社員になって、仕事が忙しくなって育児ができない、家事ができない、という事になるのであれば、せっかくだけど(話し合いの前月に正社員に登用されたばかりでした)今の仕事をやめて、パートでも派遣でも、きちんと時間が取れる仕事に変えることも考えてる。私が仕事をする事で家族を壊してしまうのは私が望んだことじゃないから…」

正直悔しかったです。血反吐を吐くほど頑張って、やっと手に入れた正社員という立場。認めていただけた直後にこんな事になるなんて。でも、私がバリバリ仕事をする事が嫌なのであれば時間に融通のきく仕事に変えてでも、4人で暮らせる道を探したい、と言いました。最後の妥協でした。

 

サイ夫は、無反応でした。

 

そして、翌日私の実家に行き、両親の前で私の悪口をわめき散らし、離婚します!親権は俺が取ります!暮らしたいならしばらく一緒にいてもいいですけど、借金を子供に背負わせたくないので、籍は抜いてもらいます!と自論を述べたそうです。

冷静な父に「もう一度きちんと二人で話し合いなさい。あなたの一方的な主張だけでは判断できないだろう。なぜ離婚するのに、娘は来ないんだ?」と鋭いツッコミにも逃げ、意気揚々と私の元へ帰ってきたのです。

あまりに異常な状況に、弟が「姉が心配だから会わせて」と一緒に帰ってきて、また喫煙可の居酒屋で食事を取ることになりました。

私は一言も話せず、完全に鬱状態になっていました。